盛山和夫,2013,「モダニティのあとの社会学の課題――グローバリゼーションにおける可能性」宮島喬・舩橋晴俊・友枝敏雄・遠藤薫編『グローバリゼーションと社会学――モダニティ・グローバリティ・社会的公正』ミネルヴァ書房,188–204.
内容
グローバリゼーションという論題との関係で社会学問の学問的現状を診断した論考。
筆者は社会学が「学問としての危機に直面している」と指摘したうえで、危機を3つの側面から論じている(189ff)。
社会学の教科書のなかで社会学の定義が提示されていない。すなわち、社会現象や社会生活を対象とする科学であるという定義にとどまっている。
社会学に固有の理論や概念や命題が共有財産として継承・共有されていない。かわりに、多様な具体的で多様な社会的現実を対象とするという特徴づけが強調される。
学問の境界には必ずしも拘束されない研究領域が主題別に形成され、社会学への帰属意識が減衰している。
筆者によると、学際的な研究領域の形成自体は望ましい動向である反面、そうした主題的な研究領域(エスニシティ、ジェンダー、都市、福祉、開発など)は概して社会学との結びつきが稀薄である。それゆえに、研究の理論や概念が社会学とは必ずしも関連づけられず、その成果が社会学に還元されない、人的ネットワークもその領域に内閉する傾向がある、といった問題点があげられている(191ff)。
感想
学部生のときに読んだときはさっぱり理解できなかったが、今読むとおおむね頷けるし、重要な問題提起だと感じる内容である。ただし筆者があげている3つのうちの1つめ・2つめの批判にはやや疑問が残る。一般に教科書は予備知識の少ない読者を当該分野へと導くことを目的とするのだから、その価値はその効果がどの程度生じているかという観点から評価されるべきだろう。社会学が魅力的に見えるとしたらそれはどのようなものとしてなのかは決して自明ではないし、多様な具体的で多様な社会的現実を対象とするという特徴づけが訴求力をもつならそれはそれで正当化できるのではないだろうか。あくまで私的体験にすぎないが、社会学入門という趣旨の授業を2年程度実施してみた感触としては、こうした社会学の効用は初学者の指導において無視できないものではないかと感じている。
そのうえで3つめの問題提起はやはり特に重要であると思う。社会学が方法的に多様化して分野として断片化という診断はすでに数十年も前から多くなされているけれど1、論題もまた多様化していて、それが方法論的・理論的統合と累積を阻害している、というわけだ。
disciplineよりもtopicが境界の組織原理として重要であるという事態は、筆者がふれるように、特にジェンダーやエスニシティに関して顕著であろう。ただしA. Abottが論じるようにこれは学問の発展に付随する構造的かつ一般的な問題でもあるので2、ここで筆者が論じているよりも広い視点で見たほうがいいのではないかという気もする。
ここで提起されている問題が先鋭化するのは、論文を書いたり読むときというよりは、初学者を指導するときだろう。要するに、社会学ってどんな学問なのというのを予備知識がない人間にどう効果的かつ簡潔に説明するかということである。ここで筆者が強調するように、社会学の方法論・理論上の中核的特徴を詳細に説明するといういき方も当然あるだろう。あるいは逆に、その方法論的多様性を認めたうえで上で書いたように適用範囲の広さを強調することもありうるだろう。どちらがよりよいのか、どうすれば両者を調和させて教育に反映させられるのか――これらの問題は今後教員としての経歴を歩むなかで漸進的に検討し続けたい。
Footnotes
Collins, Randall. 1986. “Is 1980s Sociology in the Doldrums?” American Journal of Sociology 91(6):1336–55.; Stinchcombe, Arthur L. 1994. “Disintegrated Disciplines and the Future of Sociology.” Sociological Forum 9(2):279–91.↩︎
Abbott, Andrew Delano. 2001. Chaos of Disciplines. Chicago: University of Chicago Press.↩︎